東京高等裁判所 昭和41年(ネ)480号 判決 1967年5月25日
控訴人 有限会社マルキヨ中村清次郎商店
被控訴人 鈴与株式会社
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出援用認否は、控訴代理人において、「(一)被控訴人主張の請求原因事実、すなわち、控訴人が昭和三五年一一月から昭和三八年六月二四日までの間A重油、B重油、C重油等の石油を代金月末払の約で買い受け、同日現在で金二四〇万五〇七五円相当の買掛代金債務があつたことは認める。(二)控訴人が相殺の抗弁において主張する損害賠償請求権は、被控訴人が控訴人に対し国立信州大学病院(以下信大病院という)、ヤクルト乳業株式会社伊那工場(以下ヤクルト伊那工場という)に納入する重油を継続して供給するという約定に反し、正当の理由なくしてこれが供給をしなくなつたという債務不履行によつて生じたものである。不法行為によつて生じたものとの主張は撤回する。(三)被控訴人が控訴人主張の相殺の抗弁に対し主張する事実のうち、被控訴人と控訴人との間において結ばれた控訴人が信大病院に納入するB重油を被控訴人が控訴人に供給するという契約において、石油業法第一五条による石油製品の販売標準価格が公示されたときは控訴人はこれに従つて被控訴人との間における取引価格はもちろん信大病院に対する納入価格を改定する約定であつたことは認めるが、被控訴人は右価格の公示された昭和三七年一一月一〇日以降控訴人に対し信大病院への納入価格について何ら改定の申入をすることなく、同業者から控訴人の信大病院に対する石油の納入について苦情が出ているとして正当の理由もなく一方的に控訴人に対する信大病院に納入すべきB重油の供給を打ち切つたのである。」と附加訂正し、(証拠省略)………被控訴代理人において、「控訴代理人主張(二)、(三)の被控訴人が控訴人に対するB重油の供給を何ら正当の理由もなく一方的に打ち切つたとの点は否認する。」と述べ、(証拠省略)………原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
理由
一 被控訴人が石油等の販売を業とする会社であり、昭和三五年一一月から昭和三八年六月二四日までの間控訴人に対しA重油、B重油、C重油等石油類を代金月末払の約で売り渡し同日現在で金二四〇万五〇七五円の売掛代金債権を有することは当事者間に争いがない。
二 そこで、控訴人主張の相殺の抗弁について判断する。
(一) 信大病院に納入すべき石油の供給打切について
成立に争いのない乙第三号証、原審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果により成立を認め得る乙第一号証、原審証人田中文吉(後記措信しない部分を除く)、同仲条進、当審証人金子敬四郎の証言、並びに原審及び当審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果(後記措信しない部分を除く)をあわせると、控訴人は昭和三七年一一月六日国立信州大学との間で同日から昭和三八年三月末日までの間、信大病院にB重油約一二〇〇キロリツトルを一リツトル当り金七円六〇銭で納入する旨の物品供給契約を結び、同時に被控訴人に対し右契約の締結を報告して被控訴人から右納入に要するB重油を一リツトル当り金七円で供給する旨の約定を取り付けたこと、被控訴人は昭和三七年一一月七日から控訴人に対し右信大病院に納入すべきB重油の供給をしたが、同月二四日を以てこれが供給を打ち切つたことが明らかである。右認定に反する当審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果は措信できない。
しかるに、成立に争いのない甲第四号証に右各証言によると、控訴人が信州大学との間で物品供給契約を結んだ当時石油業界は廉売競争の影響で市況が非常に悪化し、石油類の価格が極めて不安定であつたので、石油業法の制定をみ次いで数日中にも同法第一五条の規定に基き通商産業大臣により石油製品の価格を安定させるため市況より高い石油製品の販売価格の標準額が告示される予定であつたことが認められるところ、被控訴人は被控訴人が控訴人に対し信州大学病院に納入すべきB重油の供給を打ち切つたのは、控訴人が被控訴人との間でした約定に反し告示のあつた標準価格に従い控訴人の信大病院に納入するB重油の価格を改定しなかつたがゆえであつて、正当視せられるべきであると主張し、これに対し控訴人は、右打切は何ら正当の理由によらないものであると主張する。
被控訴人が控訴人に対し信大病院に納入すべきB重油の供給を約した際、被控訴人と控訴人との間で通商産業大臣により石油業法第一五条に基く販売標準価格が告示されたときは、これに従い被控訴人が控訴人に売り渡すB重油の価格及び控訴人が信大病院に納入するB石油の価格を改定する旨約したことは当事者間に争いがない。そして、前掲甲第四号証、乙第一号証、成立に争いない乙第二号証に前示各証言及び供述によると、通商産業大臣は昭和三七年一一月一〇日同省告示第五七四号により石油製品の販売価格の標準額を告示し、B重油の石油精製業者及び石油製品の元売業者の標準販売価格は一キロリツトル当り金八三〇〇円であり、長野県においてはこれに地域価格差金二〇〇円を加算し標準価格は金八五〇〇円となつたこと、そこで被控訴人は翌同月一一日頃控訴人に対し右標準販売価格が告示され、被控訴人がメーカーである亜細亜石油株式会社(以下亜細亜石油という)から買い入れるB重油の価格が一キロリツトル当り金八五〇〇円となつたことを告げ、控訴人に供給する価格はこれに販売利潤を加え約金九〇〇〇円となるので、これに従い控訴人に対する供給価格及び控訴人が信大病院に納入する価格をそれぞれ改定してくれるよう要請したところ、控訴人は直ちに右標準販売価格に従い信大病院に対する納入価格を改定し値上げに踏み切ることは難しいとして被控訴人に対し標準販売価格によらないで取引できるようメーカーである亜細亜石油と折衝してもらいたいと希望したので、被控訴人において控訴人の希望に沿うべく、亜細亜石油と取引価格値下げの交渉をしたが標準販売価格によらない取引をすることはできないとしてこれを拒絶されたため、控訴人に対し、右標準販売価格に従つて取引価格を値上げするほかない旨を伝達したこと、ところで石油業界においてはメーカーが直接取引する特約販売店のみならず、末端販売店さらにはその大口取引先までを把握し、製品の出荷調整、販売指導を行つているのであるが、控訴人が右標準販売価格の告示後も信大病院に対しては全く取引価格改定の交渉をせず従来どおり一リツトル当り金七円六〇銭の価格でB重油の納入をしていたところ、石油メーカー一三社の会合において被控訴人を特約販売店とする亜細亜石油に対し長野県石油協同組合中信支部を通じ松本市内の石油販売業者から控訴人が右標準販売価格を下廻わる価格で信大病院に、B重油を納入していると厳重な抗議が持ち出されたので、亜細亜石油では同年一一月一七日頃控訴人はB重油を供給している被控訴人に対し控訴人が告示された標準販売価格に従い信大病院に対する納入価格を改定しないかぎり被控訴人に対するその分の石油の供給を中止する旨を申し入れ、あわせて被控訴人とともに控訴人に対し標準販売価格告示の趣旨を紊り石油業界全体の混乱を招く懼があるから、信大病院への納入価格を改定できないなら納入を辞退するよう要求し、なお被控訴人において亜細亜石油から被控訴人に対し控訴人が信大病院に納入する分に見合う量の石油が供給されない以上控訴人に対する右B重油の供給は打ち切らざるを得ない旨を告げ、すでに述べたように同月二四日控訴人が信大病院に納入すべきB重油の供給を打ち切つたものであるが、控訴人としても被控訴人からB重油が供給されないのでは止むを得ないとして同月一七日一応右納入を中止することとし、亜細亜石油及び被控訴人側のいうまま右趣旨の信大病院に対するB重油の納入辞退届を作成し、同月一九日これを信州大学に提出して自発的にB重油の納入を中止する形式をとつたことが認められる。右認定に反する原審証人田中文吉の証言並びに原審及び当審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果は措信し難い。ことに、控訴代表者中村清次郎の供述中、信州大学と控訴人との間では標準販売価格が告示されたときはこれに準じて買入価格を改定する約であつたとの部分は、当時は標準販売価格の告示される直前であつて信州大学においては右価格の告示前なお価格の安い時期に石油納入契約を締結したいとして契約を急いだことがその供述の他の部分から認められ、かつ右供述及び原審証人仲条進、当審証人金子敬四郎の証言からすると、控訴人は右価格の告示後信州大学に対し納入価格改定の申入をしていないことが窺われるのであるから、果して真実に沿うものであるかどうか甚だ疑問であるといわなければならない。
右認定の事実によると、被控訴人が控訴人に対し信大病院に納入すべきB重油の供給を打ち切つたのは、控訴人が被控訴人との間における標準販売価格が告示されたときはこれに従い取引価格を改定するとの約定に反し、昭和三七年一一月一〇日右価格が告示されたにも拘わらず、取引価格、就中信大病院に対する納入価格を改定しなかつたことにそもそもの原因があつたことが明らかである。そして、被控訴人の控訴人が信大病院に納入するB重油を供給するという債務は、控訴人の信大病院に対する納入価格を改定するという債務とは互に対価関係に立つものではないけれども、右認定のように石油業界においては系列化の進んだ特殊の取引関係が存在するのであるから、控訴人が被控訴人に対するいわゆる再販売価格維持の右債務を履行しなかつた結果、これによつて被控訴人はメーカーである亜細亜石油から控訴人が信大病院に納入すべき量に見合うB重油の出荷を減少させられ、控訴人に対するその供給を停止せざるを得なくなつたものであり、(控訴人に対する供給を継続するときは、自己の保有し控訴人以外の末端販売業者に対し供給すべき量に不足を生ずるであろうことは見易き道理である)、加うるに控訴人と被控訴人間の取引価格は当然標準販売価格に従い改定されることとなるのであるから、控訴人の信大病院に対する納入価格が改定されないかぎり控訴人がその納入を継続することは採算を無視することになり、いきおい損失が累積し、ひいては被控訴人に対する代金債務の支払もまた円滑を欠くに至るべき懼が充分存在し、控訴人に対しB重油の供給を継続することは一つの危険を冒すものにほかならないものと認められるのであつて、ひろく債権関係を支配する信義誠実の原則に照らして考えるとき、以上のような事情のもとにおいて被控訴人は控訴人に対し信大病院に納入する重油を供給すべき債務の履行を拒絶するについて正当の事由を有するものであり、したがつて債務不履行の責を負わないと解するのが相当である。すなわち控訴人が自らの被控訴人に対する債務を履行しないで被控訴人の債務の履行を困難ならしめる原因を作りながら、一方的に被控訴人の責任を追求するのは信義誠実の原則に反するものといわなければならない。
そうすると、被控訴人にはこの点について責められるべき債務不履行はないのであるから、さらに損害の点に立ち入るまでもなく損害賠償請求に関する控訴人の主張は失当である。
(二) ヤクルト乳業株式会社伊那工場に納入すべき石油の供給打切について
原審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果により成立を認め得る乙第四号証の一ないし六、原審証人田中文吉(後記措信しない部分を除く)、同仲条進の証言、原審及び当審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果に本件弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は昭和三五年一一月頃から被控訴人からB重油の供給を受けてこれをヤクルト乳業株式会社伊那工場に納入していたが、昭和三八年四月下旬頃同会社の本社から上層部の指示で伊那工場では他の石油販売業者から重油を購入することとなつたので、控訴人とのB重油等の売買取引を打ち切らざるを得なくなつた旨を告げられ、伊那工場においては同年四月三〇日を以て控訴人からの重油購入を打ち切り、その後同じ亜細亜石油の系列に属する東京都内の石油販売業者日伸商会から重油を購入することとなつたものであつて、控訴人との取引打切はヤクルト乳業株式会社の内部的な事情によるものであつたこと、ところで、右ヤクルト伊那工場との取引は控訴人にとつて最も大口の石油取引の一つであつたところ、その供給者である被控訴人はその頃ヤクルト乳業株式会社から控訴人との取引を打ち切る旨の通知を受け、控訴人からも同様の報告を受けたので、控訴人に対しなお納入が継続できるよう努力することを勧告したが、具体的な納入先のあてのない重油を大量に供給することは問題であるので、一まず従来控訴人がヤクルト伊那工場に納入していた量の重油の供給を中止し、控訴人とヤクルト伊那工場との取引が再開されたときはあらためて重油の供給を継続することとしたこと、しかるに右ヤクルト伊那工場は同年六、七月頃閉鎖されたことが認められる。右認定に反する原審証人田中文吉の証言は措信することができない。
右認定の事実によると、被控訴人と控訴人との間には昭和三五年一一月頃から控訴人がヤクルト伊那工場に納入する重油を継続して供給する旨の約定が存していたものと認められるが、昭和三八年四月三〇日頃被控訴人が控訴人に対しヤクルト伊那工場に納入すべき重油を供給しなくなつたのは、控訴人が同工場側から従来からの重油の売買取引を打ち切られ、被控訴人からの供給を必要としなくなつたがためであつて、被控訴人の控訴人に対する右重油供給の債務を履行しなかつたことと控訴人が同工場から重油の売買取引を打ち切られたこととの間には原因結果の関係を存しないというべきである(仮りに、これが債務不履行を以て目せられるにせよ、ヤクルト伊那工場から石油購入を打ち切られているのであつてみれば、そもそも控訴人が被控訴人から重油の供給を受けてこれをヤクルト伊那工場に納入し、利益を得るということはあり得べからざるところであり、その主張のような得べかりし利益の喪失などは存在するべくもないのである)。
してみると、この関係においても控訴人がその主張のような損害賠償請求権を有するものとは認められない。
(三) 信用失墜による慰藉料請求について
さらに、控訴人は被控訴人の信大病院及びヤクルト伊那工場関係における債務不履行により信大病院、ヤクルト関係はもとより社会的にも信用を失つたとしてその損害の賠償を請求している。しかし、右(一)、(二)において述べたように被控訴人には信大病院及びヤクルト伊那工場関係において責められるべき債務不履行はなく(原審での控訴代表者中村清次郎尋問の結果によると、控訴人はヤクルト関係の取引においては何ら信用を失つたような事実はないとのことである)、他に被控訴人が控訴人に対する何らかの債務不履行によりその信用を毀損したと認められるような事実もないのであるから、この点についての控訴人の主張はとうてい採用することができない。
三 そうすると、被控訴人が石油等の販売を業とする会社であることは前認定のとおりであるから、控訴人は被控訴人に対し石油買掛代金二四〇万五〇七五円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録に徴し明らかな昭和三九年一二月五日から支払ずみまで商事法定利率年六分の遅延損害金を支払うべき義務があるものといわなければならない。従つて、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 西川美数 上野宏 鈴木醇一)